フリーランスのマサヤ(@masayamuko)です。ブロガー・マーケターとして夢に描いていたどこででも働ける生活をナントカ手に入れることができたのですが、ここに到るまでいろんなことを経験して学んできました。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
と言うけれど
・自分の経験から学ぶのが向いてる人は多いんじゃない?
・自分で経験することのメリットもあるよ
という内容です。
格言によると僕は「経験に学ぶ愚者」になっちゃうけどそれでいいやー
「先人の体験談から学べ」とか言う人いるけど、僕はなかなかそれを学んでも実感がわかなくて自分でやって見て失敗したり、成功したりしていかないとなかなか理解できない。効率的に学べないタイプのようです。
— Masaya@セブ▷6/9 (@MasayaMuko) May 28, 2017
目次
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の意味
ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相」の異名をもつ名宰相オットー・フォン・ビスマルクさんの格言とされています。
原文とされているものの直訳では
「歴史から他人の失敗を学ぶことで、自分の失敗を回避することを好む」
という意味になるそうです。
自分で失敗して痛い目をみるよりも、他の人の失敗を見て学んでうまくやれよという意味と捉えています。
歴史に学ぶ賢者になりたいけど
もちろん、僕だって体験や話からしっかり学んで自分の失敗をうまく避けて立ち回れる「歴史に学ぶ賢者」になりたいです。
でも、どれだけいろんな失敗例を見ても、一度「やってみたい」と心に決めたことはとにかく自分でやって痛い目みるまで気が済まないんです。
「先人の体験談から学べ」とか言う人いるけど、僕はなかなかそれを学んでも実感がわかなくて自分でやって見て失敗したり、成功したりしていかないとなかなか理解できない。効率的に学べないタイプのようです。
— Masaya@セブ▷6/9 (@MasayaMuko) May 28, 2017
実際に痛い目に合った話
複業の一つとして「日本語教師したい」と思った僕は、
現職の方や、体験した方、友人の話を聞いたり、本を読んだりして
・複業には向いていない
・最初徹夜で教案作ったりあり
・賃金低くて大変
という「複業の一つ」としては向いていないよ!って歴史が教えてくれたのですがそれでもやりたい気がおさまらないのでやってみました。
日本語教師は本当にその一つで、「すごいエネルギー必要だから"収入源の一つとしては"結構厳しいよ」って現役含めていろんな人に教えてもらったけど。どうしてもやって見たくて、420時間の日本語教師養成講座に通って日本語教師になった。結果、云われてた通り複業の1つには難しく辞めた。
— Masaya@セブ▷6/9 (@MasayaMuko) May 28, 2017
そして結局すぐ辞めちゃったという結果に。歴史に学べない愚か者でした。
こんなことが日本語教師以外にもいろいろとあります。
使えないと言われてた古民家鑑定士の資格の取得とか、どれが本当にしたいかわからずとりあえずアルバイト6こ掛け持ちしてたスーパーフリーターの時期とかもこれに入りそう。でも自分で体験しないと答え出せないんだもん。
自分、ほんと不器用だな。。。
経験に学ぶ愚者でいいじゃないか
僕は「経験に学ぶ愚者でいい」と信じています。自分のように一度やりたいと思ったことはやらなきゃ気が済まない人にとっては、それがベストな選択にならなくてもできるときにしてしまった方がいいと思います。
理由は、
・自分で失敗して初めてその次を見れることがあるから
・「やらなかった」後悔を持ち続けることなく気持ちいいから
実際に僕が高いお金と時間を費やして「日本語教師」を仕事の一つとして試してみて、本当に心配していた通りの結果になりましたが後悔していません。満足しています。
していなかったら今も選択肢として持ち続けて今に集中できていなかったかもしれません。それに加えて、体験してわかった日本語教師のリアルな現状とか、海外で日本語教師として働く可能性をもてたことが自分の人生を豊かにしてくれました。
歴史に学びすぎないメリットもあると思う
いろいろやりたいこと増えて「大丈夫かな?」ってなってますが、一度やりたいと思ったことはやらないと気が済まないタチの人間なのでするしかなさそうです。
時間は無理に詰めて行ったらいつもどうにかなってるのでなんとかなるんだと思います。
— Masaya@セブ▷6/9 (@MasayaMuko) May 28, 2017
歴史や他人の体験談や経験から学ぼうとしても、自分と全く同じ環境を持っている人なんていません。環境も違えば、やり方、捉え方、考え方が違う他人の体験談や経験なんてどこまで自分に当てはまるかわかりません。
そんな、他人の話や経験を気にしすぎて自分がやりたいと思ったことをできないのはもったいないと思います。歴史に学ぶのも大切ですが、“自分なら”違うかもしれないということを頭に置いて行動や選択を妨げられすぎない程度に学ぶのが理想だと思ってます。
この格言、そもそも出展元がわからない、誤訳かもしれないらしい
この記事を書くにあたってこの格言について調べたのですが、なんともはっきりしないことが多くてモヤモヤです。出展元がわからないとか誤訳なんじゃないみたいな記事がいくつも見つかりました。
原文
Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeide
直訳
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。
英語
Only a fool learns from his own mistakes. The wise man learns from the mistakes of others.
誤訳、出展元がわからない疑惑
日本語の約で歴史となっているものは、原文では”他人の経験”だそうです。誰が訳したんだろう、まあ自分の中の解釈では歴史=他人の経験だったから問題ないんですけど。
さらに、出展元がわからないというのはなんともぱっとしませんね。
「Erfahrungen anderer(the experience of others)」=他人の経験、がどうして「歴史」という言葉に訳されたのか皆目不明です。誰が最初にその言葉をそう訳したのか。
さらに謎なのは、ビスマルクがいつ、どういう状況でその言葉を言ったのか。そもそもの出典は何なのか。
googleで検索してもうまくわからない。
引用元: 「賢者は歴史に学ぶ」—-ビスマルクはそんなこと言ってない!?「賢者は歴史に学ぶ」—-ビスマルクはそんなこと言ってない!?
なにはともあれ、格言の本当の意味するところや出展元やなんやかんやは置いといて
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というけれどさ、そうでもないよねって話でした。
「愚者と呼ばれようが経験に多くを学び、賢者になるべく歴史もしっかり学んでおく」
って感じで行こうと思います。